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本物ほど見つけにくい時代
私たちは今、
歴史上もっとも多くの情報に触れられる時代を生きています。
検索すれば、何でも出てくる。
行ったことのない店の評価も分かる。
会ったことのない人の経歴も分かる。
作品も、実績も、考え方も、
スマートフォン一つで見ることができます。
昔よりずっと、
「良いもの」を見つけやすい時代になった。
はずです。
しかし私は、
むしろ逆なのではないかと思うことがあります。
本物ほど、見つけにくい時代になった。
そんな気もするのです。
「見つかるもの」が、良いものとは限らない
今の時代、
価値があるものが見つかるのではなく、
見つけてもらうことが上手なものが、見つかります。
発信する。
広告を出す。
検索される。
拡散される。
数字を集める。
もちろん、それ自体が悪いわけではありません。
私たちも発信をします。
事業をしている以上、知ってもらう努力も必要です。
でも、
ここで一つの問題が生まれます。
「知られていること」と「優れていること」が、同じように見えてしまう。
有名な店だから美味しい。
フォロワーが多いから一流。
検索で上に出てくるから信頼できる。
肩書きが立派だからプロ。
本当に、そうなのでしょうか。
本物は、案外地味なのかもしれない
京都にも、
ほとんど名前を知られていない職人がいます。
何十年も、
同じ仕事を続けている。
毎日同じ場所へ行き、
同じ道具を握り、
昨日よりほんの少し良い仕事をする。
その人は、
自分の仕事を上手に撮影できないかもしれません。
文章を書くのも得意ではないかもしれない。
自分を「アーティスト」と呼ぶことすらないかもしれません。
それでも、
その人にしかできない仕事がある。
これは盆栽に限った話ではありません。
料理でも、
建築でも、
工芸でも、
庭でも、
花でも、
サービスでも同じです。
本当に優れた仕事をしている人と、
その優れた仕事を世の中へ伝えることが上手な人は、
必ずしも同じではありません。
そして今は、
後者の方が見つかりやすい。
だからこそ、
本物ほど、見つけにくい。
そんな逆転が起きているように感じます。
本物とは、何なのか。
では、
本物とは何なのでしょう。
長く続けていること?
技術があること?
有名であること?
賞を取っていること?
私には、まだ明確な答えはありません。
そして、
自分自身を「本物」だと言うつもりもありません。
盆栽の世界には、
私より遥かに長く木と向き合ってきた人がいます。
何十年もの経験を持ち、
私には到底及ばない技術を持つ人もいます。
そういう人から見れば、
私もまだまだ未熟な人間の一人でしょう。
だから、
「本物はこちらで、偽物はこちら」
と線を引くつもりはありません。
ただ一つ、
私が大切だと思うことがあります。
積み重ねた時間には、確かな違いがある。
そしてその物と向き合う本物の愛情がある。
ということです。
“それらしく見せる”ことはできても、愛情と時間はつくれない
今は、
人も商品も会社も、
とても美しく見せることができます。
写真も、
映像も、
文章も、
肩書きも、
ブランドも。
これからAIがさらに進化すれば、
その境界はもっと曖昧になっていくでしょう。
でも、
どうしてもつくれないものがあります。
それが、
それに賭けた愛情と時間です。
料理人が何万回と包丁を握った時間。
職人が何十年も素材に触れてきた時間。
ホテルマンが何千人ものお客様と向き合ってきた時間。
作家が失敗を繰り返してきた時間。
そして、
盆栽を育てる人間が、
毎日水やりを続け木を見続けてきた時間。
それは、
プロフィールには完全には書けません。
一枚の写真にも写りません。
でも、
仕事の細部には必ず現れます。
お客様に、少しだけ奥を見てほしい
だから私は、
何かを選ぶとき、
少しだけ「奥」を見てほしいと思っています。
私の目からすればそれはすぐに分かります。
技術を得るために費やした時間が存在しているのか。
本当に一本の命に向き合って語り合ったのか。
星つきの空間でも一目瞭然で偽物を発信しているシーンは多い。
有名だから。
検索で出てきたから。
写真が綺麗だから。
フォロワーが多いから。
それだけではなく、
この人は、何を積み重ねてきたのだろう。
と。
どんな仕事をしてきたのか。
普段、何を大切にしているのか。
見えないところで何をしているのか。
そして、
その商品や文化に対して、
本当に敬意を持っているのか。
そこまで見て初めて分かることがあります。
これは、
「騙されないため」というだけの話ではありません。
本当に良い仕事をしている人と、
本当に良いものを求めている人が、
ちゃんと出会うための話です。
主役は、誰なのか。
これは、
私自身にも向けている問いです。
主役は、誰なのか。
作家なのか。
作品なのか。
職人なのか。
技術なのか。
盆栽という仕事をしていると、
この問いを考えることがあります。
一本の古い盆栽には、
私が生まれる遥か前から続いてきた時間があります。
誰かが育て、
誰かが守り、
誰かが次の人へ渡してきた。
その長い時間の中の、
ほんの一部分に私がいるだけです。
だから、
盆栽を自分自身を大きく見せるためのアクセサリーにはしたくありません。
盆栽があるから、
自分が格好よく見える。
盆栽があるから、
自分がアーティストに見える。
そうではなく、
自分が関わることで、盆栽が少しでも良く見える。
その順番でありたいと思っています。
主役は、
いつも作品です。
旬になったものには、
いつか旬が終わる日が来る。
急激に注目され、
一気に消費され、
次の新しいものが現れれば忘れられる。
盆栽は、
そんな時間軸を生きてきた文化ではありません。
何百年という時間を越えて、
今も残っています。
だから、
一年で100万人に知られることより、
100年後にも残っていることの方が大切だと思っています。
見つけてもらった時に、恥ずかしくない仕事を。
これから、
「本物らしいもの」をつくる技術は、
もっと進化していくと思います。
人も、
商品も、
会社も、
作品も。
見た目だけでは、
ますます分からなくなっていく。
だからこそ最後に残るのは、
その人が何を積み重ね、
何を大切にし、
どんな仕事をしてきたのか。
なのかもしれません。
自分を輝かせるために作品を使うのではなく、
作品を輝かせるために自分が働くこと。
そして、
一瞬の旬ではなく、
長く残るものをつくること。
本物ほど、見つけにくい時代。
だから私は、
無理に本物らしく見せるより、
いつか誰かに見つけてもらったとき、
「ここに頼んでよかった」「あなたに命を譲ってよかった」と思ってもらえる仕事を、
見えないところで積み重ねていたいと思っています。
一時代の預かり物と日々向き合うことを命尽きるまで続ける。
THE ETORA BONSAI
松嶋獅道
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